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■ストーリータイトル■
白尾幻談
■ストーリー概要■
倭国「与祇市(よぎいち)」は、異国より強襲された過去があり、高く強固な外壁で市境を囲った繁栄華々しい市(いち)。その壁内には街だけでなく広大な農耕地や森林、沼までもが存在している。
出入りは厳戒を極め、他国との交流や商いはすべて『唐兎(からと)』が行っていた。唐兎は人よりも優れた跳躍力を持ち、外壁を軽々と飛び越える種族。警備の厳しい市において、唯一自由に出入りすることを許された民でもあった。
しかし、すべてが優遇されているわけではない。出入りを許可される代わりに、種族判別のための朱印を額に押され、市での永住を許されず、住まいは外壁の外。そこには賊や人を襲うと恐れられる人の姿のアヤカシ、狼牙(ろうが)がいる為、居住は高い樹木の上に作らざるを得なかった。
貴方は唐兎でありながら、跳躍力を持たぬ娘。母を狼牙族の強襲によって失っている。跳べないため、いつも一人でトビラから出入りをしている。
そんな仕事の帰り、役人がいつものようにからかい混じりで絡んできた。壁際に追い込まれた時、背後に狼牙の少年が立った。鋭い目、肩からは血。役人は彼の放つ強い殺気に逃げ出してくれた。
途端、倒れてしまった少年。恐怖を我慢して触れればひどい熱。彼を追う役人の声がした。貴方は思わず肩を貸し、自分しか知らぬ洞窟に彼をかくまったのだった。
民に恐れられる狼牙族。ある条件を満たせば成人するとも言われる真の生態は誰も知らない。
彼を洞に残し、家族や役人から隠れて食事を運び始める貴方。怖さを越えて、助けたいと願う貴方の思いは届くか――。
■プロローグ■
与祇市(よぎいち)の空は夕刻の雨。それも豪雨だ。
「唐兎(からと)の七七四番です。配伝終了しました。トビラを通過させて下さい」
トビラの両脇に立つ役人。兵士も兼ねる男たちは見事な盾と槍を備えている。右側の男が不釣り合いなほどニヤついた目で、声を発した私の方に視線を向けた。そして、おもむろに盾を壁に立てかけた。
「通行証。オレが取り出してやろうか?」
反射的に身が固くなった。
巨大でどこまでも続く外壁に守れた与祇市。平穏すぎる日々に、トビラを守る役人は暇を持て余していた。私はいつも狙われていた。なめ回すような男の目。嫌な予感が身体中を駆けめぐった。
できるならば通りたくはない。しかし規則を守らぬ者への懲罰は厳しく、ここを通らないわけには行かなかった。
「遠慮するな、オレが取ってやる」
さらに目を細め、男が黄ばんだ歯列を見せた。
私は通行証代わりの黒菱印を腰につけている。この男は取ってやると親切ぶりながら、身体を触るのが目的なのだ。不審な気配に、体が凍りつきそうになった。心の中で兄の名を呼んだ。
もう一人の役人が木製のトビラを開く。それと同時に、私は素早く通り抜けようとした。が、濁り声の主は私の腕をつかんだ。耳元に顔を近づけてくる。
「外は寒いだろ? 宿に寄って行けよ」
鼻息と共にささやかれる甘い言葉。けれど、私にとっては寒気を誘うだけ。
重厚なトビラの横には役人の休む座敷がある。口角を上げる男。力を持たぬ兎は、格好の獲物。
私は必死に腕を振り払い、できるだけ男の体から離れようともがいた。恐ろしさで息が詰まる。
「口も聞けないほどうれしいんだな」
悪びれもせず、しきりに迫ってくる男。トビラを押さえたもう一人の役人は魑魅の目だ。
今日はひどい。
いつもよりも、何倍もひどい。激しい雨音さえもすり抜けて、男の下劣な含み笑いが背筋を凍らせた。
わずかに数歩の壁の外側。大樹立ち並ぶ緑の森。帰りたい。樹木の上の、空に近い我が家に帰りたい。兄の待つ場所まではひどく遠かった。
足が震えて、どんどんと壁に追いやられていく。
コートは脱げ落ち、雨が地肌に染み始めている。誘導されているのか、いつの間にか外壁の外(外禍)に出ていた。外禍(がいか)は政事の届かぬ場所。男の考えなど嫌というほど、分かってしまう。
怖い。
伸ばされるもう一つの腕。近づく顔。汚れた息が吐き出されるむさ苦しい口元が開く。私は背中に冷たい土壁を感じながら、自分の体を抱きしめた。
トビラを押さえていた役人が、参加しようと近づく足音がした。
突然、大声を上げた。警戒し、怯えた声。
「おい、狼牙(ろうが)だっ! 逃げろ、早くトビラの中へ入れ!」
今まさに、おおい被さろうとしていた男が、私を突きとばしてかけ出した。跳ねる泥水のしぶき。
視界から男の姿が消えた。重く響くトビラの音が、市と外禍とを隔てたことを伝える。でもそんな音よりも、私の目は目前に立つ白い狼に釘づけになっていた。
白く長い尾。褐色の肌。肩口の着物が破れ、大量の血が流れていた。ガクリと膝が落ちた。彼の首からかけられていた銅鏡が水に浸った。荒い息で上下する肩越しに、鋭く殺気に満ちた赤い瞳が私を貫いた。
十三歳くらいだろうか、細い体が雨に震えている。半開きになった口には牙。白い吐息が立ち昇っていた。
助けてくれた訳ではない。狼牙は凶暴な種族だ。単純に、役人が狼牙の恐怖に逃げ出しただけ。少年期とて、狼牙の力は侮れないと言った兄の言葉を思い出した。
けれど……。
なぜだろうか、不思議と怖くなかった。役人の下卑た姿の方が恐ろしい。少年の瞳は鋭利に光り、いつでも飛びかかれるように白い爪をこちらへと向けていた。膝をついて尚、威嚇し続けるさまは幼くとも孤高。
一見すれば、とても恐ろしい姿だ。でも、彼の目には全身にほとばしる怒りと警戒心とは違う何かがある気がした。
「そこをどけ」
少年が腕を振る。途端、うめき声を上げて身を抱え込んだ。ケガをしていたのは利き腕だったのだ。本能的にケガをしている方を使ってしまったらしい。激しい痛みが襲うのだろう、彼はついに腰を折り倒れ込んだ。
どうしよう……。
どうすればいいんだろうか。彼は私を助けようとしてくれた訳じゃない。それに狼牙は母の命を奪った種族。その時の恐ろしい目と声が脳裏によみがえった。
けれど、こんな姿になった子を放っておくなんてできなかった。恐怖に震え上がりそうになる心をふるい立たせる。例え、母のかたきの種族だとしても、私に今できることがあるなら、絶対に目を背けない。母の墓前にそう誓ったじゃないか。
「大丈夫。見せて」
意を決し、私は近づいた。間近で狼牙を見るのは初めてだった。市に住む者も外禍に住む唐兎も、ほとんどの者が見たことはあまりないのではないだろうか。ある条件の下で、急激に成人するとも言われ、謎の多い種族なのだ。
彼の辛そうな目は充血し、涙と痛みを堪えているのが分かる。そして何よりもその鋭い瞳に悲しげな光が宿っているのに気づいた。自分の中の彼への恐怖心が急速に薄らいでいく。
……これが、人を襲う者の顔?
私の記憶に残っている狼牙も、本当はこんな顔をしていたのだろうか。
勇気を出し、額にかかる白い前髪を払った。少年の体がビクリと跳ねた。
「オレに、触れ……るなっ」
声はか細くも語調は強く、体が手を瞬間的に引っ込めた。彼は痺れるような長い息を吐き出し、雨で顔に張りついている前髪の間から睨んでくる。恐ろしさに私はひるんだ。
頑張ってお腹に力を入れる。唇を噛みしめて、強引に彼の額に触れた。
「やっぱり、すごい熱」
白い吐息は寒さだけじゃなくて、発熱していたからだった。流れ出す血の量も半端ではない。このままでは死んでしまう。彼の表情や状況のすべてが死国の闇を感じさせた。
もう振り払う力も残っていないのか、私の腕に寄りかかるように倒れ込む少年。
「私につかまって、このままじゃダメよ」
声にならない声で、彼は拒絶する。でも、このまま放っておけない。
その時だった。背後でがなり立てる蛮声が起こった。それに伴って、一度は閉じたトビラの開く重い音が響き始めた。
いけない。見つかってしまう。
狼牙は与祇市を不安に陥れる者だ。こんな手負いの姿を見つかって、彼が無事でいられるはずもない。私がなんとかしなくてはいけない。猛烈な決意がわき上がった。
「ごめん、ちょっとだけ我慢して。私が跳べたらいいんだけど……。でも、その分結構力は強いんだから」
少年のケガをしていない腕を持ち上げ、自分の肩にかける。腰を抱えるようにして、私は彼を引きずって大樹の森奥へと急いだ。
ちょうど世は夕闇の雨。
豪雨は地面を打ち、足跡も血も流してくれるだろう。私は空の神に感謝していた。
私ができること。
私が救うことができる命。
助けられた私の命は、誰かの役に立つためにある。
そう信じて生きてきた。力を持たないと知った日から、母の手が体温を失っていった日から、ずっとそう信じてきた。
今、それを示せる。
彼を救いたい。狼牙に襲われた過去を思い出さないはずもない。けれど、それ以上に大きな何かが私を前へと歩ませていた。
――私しか知らない秘密の洞窟に着いた時、彼の意識はもう無くなっていた。
与祇市は、人族が大勢を占めている都。人外の種族は多様ではあるが数は少ない。
私は長い耳と高い跳躍力が特徴の唐兎(からと)族。人々の荷物や手紙を運搬する配伝(はいでん)を生業としている種族だ。
人や他の種族のように市に住まうことはできず、外禍(がいか)と呼ばれる危険な外壁の外に住んでいる。その代わり、人からの高い信頼を受け、外と市との間を唯一自由に出入りできた。
でも、私は違う。
跳躍力を持たずに生まれた。だから、兄や仲間から離れ、広大な外壁の数カ所にしかないトビラを、一人で通行する必要があったのだ。ずっとそれを嫌だと思っていた。でも、こうして彼を助けられたことで、何か意味を持っていたのではないかと思えた。
高熱に浮かされ、時折ひどく跳ね上がる少年の体。放っておくことは死につながる。
私は隠れ家として遊んだこの場所に、彼をかくまって看病することにした。追っ手や彼が生態の分からぬ狼牙であることには不安を感じずにはいられない。でもまずは、ケガを治すことに集中しよう。
そう決心した。