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るつぼ提出、三作目。
超美形で女たらしである幼馴染みと、無理やり婚約させられてしまう――という、
美味しいような迷惑なようなお話です。(一陽)
■ストーリータイトル■
ディルムの貴公子
■ストーリー概要■
ディルムの貴公子と呼ばれる超美形アシュレイ・シーリーと、男嫌いで有名な$名は、自他共に認める犬猿の仲。
そんな二人の間に婚約の話が持ち上がり、ショックで倒れる$名。
同じく婚約反対の意思を見せるアシュレイと結託して、この話をなかったことにしようとする――のだが。
「私のことは女性扱いしないで! とにかく、近づかないで!」
アシュレイ嫌いの$名と。
「僕を好きになってくれないか」
数々の浮き名を流すアシュレイは、果たして協力なんてできるのか。
最終期限は、$名の十八歳の誕生日。
残り少ない日数で、婚約を破棄させることはできるのだろうか……?
■プロローグ■
アシュレイ・シーリーは女の敵だ。
彼が笑えば誰もが頬を染め、話しかけられれば恋に落ちる。
冗談だと笑い飛ばしている人は、一度わが身で試してみるといい。
私はそういう人間を八人知っている。
もちろん、彼女たちは全てアシュレイの犠牲者となった。
君子は危うきに近寄らず。
間違ってもアシュレイ・シーリーに近づいてはいけないと、身をもって知らされた気分だった。
だから、祖父の口からその名を聞いた時、背中に怖気が走ったのは仕方のないことだと思う。
私はアシュレイが嫌いだ。
アレを視界に入れるのも、アレの視界に入るのも極力避けたいと思って生きている。
それでも、何の因果か私とアレの間には細くて頑丈な縁がある。
年に一度くらいは、アレを見なくてはならない機会が設けられているのだ。
新緑が芽吹き世界が美しく彩り始める頃に、アシュレイの誕生日が来る。
散歩や乗馬に最適な季節で気分も高揚しようかという時期なのに、この苦行を乗り越えないと私の心に平穏は訪れない。
「――わかったな、$名」
確認するように名を呼ばれ、私はハッと顔を上げた。
目の前には厳つい顔の祖父がいて、後ろには侍女頭のケイトが立っている。
「話は聞いていたのだろうな」
眉間を狭める祖父を見て、私は「もちろんです」と返事をした。
アシュレイのことを考えていたせいで聞き逃していました、なんて言ったらとんでもないことになりそうだ。
あとでケイトから聞いておけば十分だと思い、了解の言葉とともに頭を下げた。
これがそもそもの間違いであったこと。そして、悪夢のような悲劇の始まりだと知ったのは、祖父が家を立ち去ったあとだった。
全ての話を聞き終える前に、私の手からカップが落ちた。
耳障りな音がして、膝に熱い液体が降り注ぐ。
服を通して耐え難い熱が下肢に広がるが、私はカップを取り落とした格好のまま動けなかった。
「$名様! 大丈夫ですか!?」
慌てた様子でケイトがタオルを持って駆けつける。
割れたカップや床に這うケイトを瞳に映しながら、私はそれを見てはいなかった。
頭の中は真っ白で、ケイトが話す言葉の全てが、耳を素通りしていく。
外からの情報を完全に遮断してしまったように何も見えない、聞こえない。
ケイトから聞いたその事実を受け入れることが出来ないのだと。それだけ大きなショックを受けたのだと気付いたとき、私は自室のベッドに寝かされていた。
「じょ、だん……よね?」
シンと静まり返った室内に、弱々しい声が溶けていく。
ケイトはあの時なんと言っただろう。
私は正確に、一語一句違えず聞いていただろうか。
――いや。食器のこすれる音や、遠くで薪を割っている音も聞こえていたはず。
きっと、それらの音にまぎれていくつかの言葉を聞き漏らし、ありえない解釈をしてしまったのだ。
そうだ。それ以外に考えられない。
「残念ながら、冗談じゃないみたいだよ」
「!」
全身に鳥肌が立つのを感じ、私はベッドから飛び起きた。
誰もいないと思っていた部屋の中に、長身の男が一人いる。
夕焼けの赤い光を横から受けて、虫唾が走るような胡散臭い笑顔を浮かべているその男――。
「……アシュレイ・シーリー」
私の喉から、渋すぎる紅茶を飲んだ時と同じような声が出た。
薄茶色の髪に紺色の瞳。長身痩躯で顔が小さくて、絵画から抜け出してきたような容姿でおまけに何でもそつなくこなす万能人間。出自も悪くなく、誰もがあこがれる王宮で騎士として働いているという、女性の理想を体現したような人間だ。
こうして改めて言葉にしてみると、アシュレイはある意味男の敵でもあるんじゃないかと思う。こんな男がお目当ての女性の横にいたら、対抗する気力すらなくしそうだ。
(いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃなくて――)
睨む目に力を入れて、私はすばやく室内を見回した。
やはり、アシュレイの他には誰もいない。
ケイトはどこに行ったのだろう。護衛は? こいつだけは死んでも通さないでくれと何年も前から頼み込んでいたはずなのに、よりにもよってどうして今日、このタイミングで現れたんだろう。
(もしかして……)
「僕を睨んでも解決しないよ。君なら分かるよね?」
一つの可能性を思いつくのと同時に、アシュレイが悪戯っぽい笑みを向けてきた。
私の敵意を受けていながら、何事もないように微笑んでいる。
その余裕綽々な顔を見ているうちに、負けず嫌いの性分がうずいてきた。
紺色の瞳を睨み上げながら、私は静かに息を吸い込む。
「つまり、あなたも私と同じ意見だと思っていいわけね」
「相変わらず察しがいいね」
「で、なにか考えはあるのかしら」
問うと、アシュレイは気障ったらしく肩を竦めてみせた。
「いや。今回ばかりは気まぐれに決めたわけじゃないらしくてね」
「どういうこと?」
「どうも、祖父たちが十代の頃から決めていた事らしいよ。互いの子供を結婚させよう、本当の親戚になろうって固い約束を交わしたんだそうだ。だから君が生まれた翌日には、すでに僕らの婚約は決定していたらしい」
言葉を失った。
それこそ「冗談でしょう?」と叫びたかった。
子供を結婚させる? 十代の頃の約束? そんなくだらない理由で、私の人生をダメにしようというの?
「僕の祖父と君のお爺さまは、双子を疑うくらいの仲だから。今でも唯一無二の親友だと口にして憚らないし、そういう結論に行き着く理由はわからなくもないけど――」
「巻き込まれる方はたまったもんじゃないわ!」
固めた拳を布団に叩きつけ、私は上掛けをはいでベッドを降りた。
自分が寝巻きを着ていることやアシュレイがいることなんて、もうどうでも良かった。
いや、この場にこの男がいることを感謝してもいいという気分にさえなっていた。
おそらく、$姓家とシーリー家の中に、私の味方となってくれる人間はこいつしかいない。
同じ目的を持つこの男としか、秘密を共有することは出来ないのだ。
窓際に立つアシュレイの前まで行き、私は頭一つ分高いところにある整いすぎた顔を睨み上げた。
「この話を潰すわよ」
「異論はないよ」
「そう、ありがとう。問題はどうやったら潰れるかだけど……」
言葉を切って、私は目を伏せた。
あの祖父を言葉で説得するのはまず無理だ。
王族として厳しく育てられた祖父は、理由の通らないわがままを嫌う。
私がアシュレイとの婚約を破棄したいと申し出ても、正当な理由なしには認めてはくれないだろう。
「君に本命がいれば、万事丸く収まるんだけどね」
「却下。やるならあなたがやりなさいよ」
「残念だけど、誰か一人を選ぶなんて僕にはできないよ」
悪びれた様子もなく、しれっと言う。
やっぱりこいつは女性の敵だ!
こんなダメ男と一緒になったら、私の人生終わっちゃうわ!
「まあ、一つ作戦らしきものもないことはないんだけど」
もったいぶった言い方をして、アシュレイは完璧な笑顔を向けてきた。
睨まれても罵声を浴びても全く変わらないその顔は、仮面でもつけているんじゃないかと思うくらい不気味で気持ち悪い。
私は思わず顔をしかめて、アシュレイから距離を取った。
「ひどいな。僕をそんな目で見るのは君くらいのものだよ」
「いいから、作戦とやらを言いなさいよ」
やれやれ、というように首を振ってから、アシュレイはその場に肩膝をついた。そして演劇の舞台で騎士が姫君にやるように私の、手をっ、取りやがったのよ!
「僕を好きになってくれないか」
「崖から突き落とされたいの!?」
「いや」
「じゃあ、家畜の餌になりたいのね!」
「まあまあ。少し落ち着こう」
「今すぐ手を離しなさい! そうすれば、呪術師に呪わせることだけは止めてあげるわ!」
「相変わらずウブだなぁ」
「あなたに触れられるのが物凄く嫌なだけよ!」
しょうがないなと呟いて、アシュレイは手を緩める。
急いで取り返した手を寝巻きでごしごしとこすり、粟立った肌を必死にさすった。
ああああ、厄日だ。なんて日なの。こんな目に合わなくてはならないほど、悪いことなんてした覚えないわよ!
「つれないね。せっかくきれいな顔をしているんだから、もう少し愛想よく……」
「あああ、もう! 歯が浮くセリフは禁止! 私の耳に入れないで! それとさっきみたいなのも禁止よ、絶対ダメ!」
思わずこぼれてしまった涙を拭いて、私はさらにアシュレイから離れた。
「私のことは女性扱いしないで! とにかく、近づかないで!」
しっし、と犬を追い払うように手を振ると、さすがに気分を害したようで、お得意の笑顔がちょっとだけ冷めてくる。でも、アシュレイと近しい人でなければ、上機嫌に笑っているように見えるのではないだろうか。
これだけ拒絶してもその程度しか変わらないなんて、さすがこの国一の看板役者の血を引くだけのことはあるわ。私には絶対に真似できない。
久しぶりに感心していると、アシュレイはため息混じりに言葉を発した。
「……要は、この婚約を受け入れたフリをした上で、式の直前に大喧嘩して別れたらいいんじゃないかと思ったんだよ」
「大喧嘩……?」
「そう。君が僕の浮気に愛想をつかして怒るんだ」
「それのどこが作戦なの?」
私がアシュレイを嫌っていることは、家族を始め親戚全員が知っていることだ。
今さら嫌いだとか浮気者だとか騒いだところで、効果はないと思うのだけど。
「今の状況で喧嘩をしても効果はないさ。でも、君が僕に惚れたら話は別だろう? ……待て待て、作戦で! 仮に、という話だ」
私の両手に拳が作られるのを見て、慌てて訂正を入れてくる。
「仮に、君が僕に心を開き、その上で裏切られたとなったらショックを受けるのは当然だ。傷心の君を無理に僕の元へ嫁がせようとするほど、祖父たちも鬼じゃないだろう」
「私が本気であなたを好きになるなんて、うちの姪っ子だって信じないわよ」
「赤ん坊に信じさせるのは確かに難しいけど、大人なら演技でカバーすれば大丈夫だよ」
「……簡単に言ってくれるわ」
自分でもどうかと思うけど、アシュレイがちょっと手に触れただけで拒絶反応が出るくらい、本当の本当に大っ嫌いなのだ。仲良く見せるとか、惚れたフリをするとか、私には絶対に無理。皆を騙し通せるなんて思えない。けれど――他に有効な手があるかと問われれば、首を横に振るしかないのも事実だ。
「初めから親密に振舞えとは言わないよ。僕が一方的に君に近づくから、君は今までどおり嫌がっていればいい。徐々に僕に慣れてくれれば――まあ、人前でこのくらいさせてくれるようになれば」
「ひ!」
私の手をするりと掬い上げ、流れるような動作で甲に唇を落とす。
悲鳴を上げたときにはすでに手を離していて、硬直する私を満面の笑顔で見つめていた。
「君が僕に心を開いた証拠になるんじゃないかな?」
変わらないはずの笑顔に毒気が混じっている気がして、私は必死に睨み返した。
(さっきの仕返し!?)
声には出さずに視線で訴えると、アシュレイは口角をわずかに持ち上げた。
「どうする、$ニックネーム?」
どうするも、こうするもない。
この婚約を潰すために数ヶ月を我慢するのと、数ヶ月を惜しんで一生後悔するのとどちらがいいのか。答えなんて決まっている。
悔しいけど……こんな奴と頻繁に会わなきゃいけないなんて嫌だけど……。
「――いいわ。やりましょう」
苦渋に満ちた私の答えに、アシュレイは満足そうに頷いた。
その後、私たちは簡単な決め事をした。
週に一度、最低でも月に一度は顔を合わせること。
二人が同じ場所に居合わせたときには、必ず側に待機すること。
そして――アシュレイを見ても、嫌な顔をしないように努力すること。
「君が十八の誕生日を迎えてから結婚式を挙げる腹積もりでいると思う。だから」
「決行日は私の誕生日、ってことね」
「その通り。その日までに僕たちは祖父たちを騙し、仲が良い婚約者を印象付ける」
「そして、私はあなたの不実にショックを受けて、婚約の解消を申し出る」
確認するようにそう言うと、私たちは顔を見合わせた。
問題は山積みだった。でもやらないわけにはいかない。
運命の日まで、あと四ヶ月。
私にとって、かつてないほど長い苦行が始まった。