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■ストーリータイトル■
屋根の上の黒い猫



■ストーリー概要■

 虎之助は遊星シャノワから日本へやってきた異星人。日本文化の研究と、薬を見つけ出すのが目的だが、虎之助はとんでもない恥ずかしがりで、外出もままならない。
 そんなある日、彼は猫のタマと出会い、タマの飼い主であるユーザーキャラとの文通を勧められる。
 文通を続けるうちに、虎之助は少しずつ前向きに変わっていく自分を自覚する中、シャノワ星から流行病が深刻な問題になっているという報告が入る。
 薬になりそうな物を集めては星へワープさせる虎之助だが、焦ったあまり、誤ってユーザーキャラの手紙を送ってしまう。
 その手紙から特効薬が開発され、病気は克服されることに。
 役目を終え、自らの将来も見定めた虎之助は、ユーザーキャラへの感謝を胸に星へと帰っていった。



■プロローグ■

 ほわあぁふぅ……。

 大きな欠伸はやがて深いため息になって消えていく。
 今朝からいったい何度目になるだろう。
 窓の向こうは鮮やかなオレンジ色に染まっている。朝からぼんやりと窓辺に頬杖を突き、欠伸とため息を繰り返すうちに、いつのまにか夕日の時間になってしまっていた。

 見下ろせば、ちょうど学生たちがぞろぞろと向かいの校舎から出てくるところ。
 みなそれぞれ楽しそうに話をしたりふざけあったり、生き生きとして見える。
 自分も学生だし、彼らと年のころも変わらないのだから、あの中に何食わぬ顔をして混じっていたって別におかしくはないのだ。

 それなのに……。
 
 またため息が出る。


 ここは、とある大学校舎の屋上。
 その屋上に、丸いものがちんまりと乗っかっている。遠くから見れば小ぶりのタンクにも見えるが、屋上に上って近づいてみれば、その丸いものの側面には丸いガラス窓らしきものもあり、その窓の向こうに人影があって、その人影は黒猫の着ぐるみに身を包んでいて、それが先ほどから憂鬱そうにため息をもらしているのが見えるだろう。

 正面にはドアらしきものがあり、ドアの横にはちゃんと表札らしきものもかかっている。
 表札には、不可思議な模様のようなものと並んで、ミミズの這うようなつたない筆跡で、「とらのすけ」と書いてある。
 これは彼の本当の名前ではない。「虎之助」は自分で選んだ日本名であり、彼の本名は日本語では表記も発音もできないのである。

 この不思議な球体は、オブジェでもタンクでもなく、彼の家である。
 勝手に置いただけなので厳密に言うと不法行為だが、この大学の管理というのはかなりのんびりしたものらしく、誰も何も言いに来ない。
 家の中は意外と広々しており、簡易ながらトイレもシャワーもついている。
 ワンルームマンションみたいなもので、狭いなりに快適な生活空間であり、備蓄もまだまだたっぷりとある。
 日当たりのよい場所。治安も抜群。快適な家。十分な備蓄。

 それは異国にあって非常に心強いことだ。
 確かに心強い。
 ……心強いが、そのせいで、彼の生活範囲はここに居を構えた三日前からたったの1ミリも広がっていない。
 それがため息の原因なのである。

 虎之助が故郷を離れてはるか遠く日本までやってきたのは、もちろん目的あってのことだ。
 まず、政府から受けた任務がある。これは難しいことではなく、故郷にない、珍しい物があれば送ってほしいというもの。これが表向きの派遣理由である。
 そして、個人的には、彼は異文化研究を専門とする学生であり、ごく純粋に日本を訪れてみたいと思っていたこと。自分の国にはもういなくなってしまった猫という動物も見てみたい。

 そしてもうひとつ、もっともっと個人的な理由がある。


 実は、虎之助にとって、他人と出会うのは恐怖以外の何物でもない。
 何の面識もない初対面の人と話すなどはほとんど不可能で、合コンは拷問、人ごみを歩くのもできるだけ避けたい。
 異国の人間だけでなく、同じ国で同じ言葉を話している人々とでもまともにコミュニケーションをとるのは難しい。

 こんなままでいいはずがない。
 学生のうちならまだいいかもしれないが、社会に出るとなったとき、どうするのだ。
 なによりも、これから一生他人の目を避けながら生きていかなければならないなんて、あまりにも苦しい。
 なんとかして変わりたい。

 思い悩む虎之助が見つけたのが、今回彼が参加した派遣プログラムであった。

 虎之助はもともと日本文化の研究を専攻していたので、書くのはまだ苦手だが、話すのは(緊張さえしなければ)それなりにできるし、読むとなるとまずほとんど問題はない。
 語学力をアピールして書類を出したところ、虎之助自身もびっくりするほどあっけなく選考を通ってしまった。

 決まってから、虎之助はこれまで以上に日本語を勉強したし、生活や文化についての研究にもさらに打ち込んだ。
 日本には前から行ってみたかったし、もし任務を自分の手で果たすことができれば、みんなの役に立つことができる。

 それに。

 いくら怖がりで度を越した恥ずかしがりやとはいえ、追い込まれれば話し始めるのではないか。
 日本では自分は完全な異邦人だ。誰も知らないし誰にも知られていない。
 そんな状況であれば、まったく新しい自分に生まれ変われるのではないか。

 そんな非常に個人的な事情についての考えがあったのである。


 それなのに、いざ来てみれば、交流どころか、いまだに地球の表面を踏んでさえいない。
 せっかく日本語の勉強をしてきたのに、いまだに誰とも話していない。
 場所が変わったって自分が変わるわけではない、と思い知っただけだった。

 こんな情けないことでいいのか?
 
 そう考えると、ため息が止まらないのだ。


 あまりため息ばかりついていると、部屋中が二酸化炭素でいっぱいになってしまいそうな気がして、虎之助はドアを開けて屋上へ出た。
 手すりに寄りかかって、キャンパスを眺めやる。

 日は沈みかけ、夕日のオレンジ色の縁からは濃い闇の色がにじみ出始めている。
 そろそろ人通りもまばらになってきていて、構内はずいぶん静かだった。

 学生がいなくなってしまった学校は、ちょっぴり寂しい。

 ひんやりと涼しい風を頬に受けて、虎之助は結局またため息をついていた。

 と、そのとき、

「あら? 誰かしら」

 はっとなって振り向いた先に、ほっそりとしていかにも上品な白猫が首を傾げていた。

「わあ! ね、猫だ!」

 虎之助はまじまじと猫を見た。

 なんと美しいフォルム。
 小さな頭、かわいらしい額、ぴんと立った耳、不思議な輝きを放つくるりとした瞳、上品な鼻、なだらかな背、つややかな真っ白の毛並み、そして、長く伸び凛とした尾。

「猫だ……」

 虎之助は感動もあらわに、思わずそうつぶやいていた。
 これが進化の最終形態だ(と彼の国では考えられている)。
 その名に恥じない、無駄のないつくり。なんという美しさ。かわいらしさ。

「す、すみません。触ってもいいですか」
「イヤよ」
「そ、そうですか……それはそうですよね」

 しゅんとなると、白猫は先ほどとは逆方向に首を傾げた。

「あなた、猫語を話すのね?」
「そうです。ぼくは、シャノワ国立高等研究所所属の学生です。日本名は虎之助です」
「あらそう。よろしくね」
 感動しきりの緊張しきりでカクカクしている虎之助とは対照的に、猫はまるで動じていない様子であっさりと答えた。
「よ、よろしくお願いします」
「ねえ」

 白猫はそこにきちんと足をそろえて座ると、虎之助を斜め下からじろりとにらみ上げて言った。

「その堅苦しい話し方、やめてくれない?」
「あ、はあ……」

「あたし、タマよ」
「おタマさんですね」
「タマでいいわ。……あなたのことは、トラちゃんでいい?」
「え、はい」

 そのとき、かっちりと目が合った。
 虎之助は左側から夕日を受けて、そちら側の目は燃えるような色を受けて輝いている。
 そしてもう一方は、闇の中で淡い静かな輝きを放つ。
 光に照らされている側とそうでないほうだ、とだけでは片付けられない、右と左の瞳の輝きの差にタマは気づいた。
 タマがちょっと鼻の辺りにしわを寄せると、虎之助はついと視線をそらし、妙にきょときょとし始めた。
 それを見て、タマはきゅうっと目を細める。

「あなた……オッドアイね」
「えっ、いや、それは」
 虎之助は慌てて目を伏せる。
 だが、伏せてみたってどうなるわけではない。
 生まれつき、左は金、右は銀のオッドアイ。

 故郷の国では非常に珍しい個体で、しかも、どちらかというと良い印象を与えない特徴である。
 国ではそのせいでずいぶんからかわれた。
 からかいの内容は根拠もなく他愛もないものだが、からかわれるほうにしてみれば重大問題で、虎之助の幼いころの記憶の大半は「オッドアイのせいでからかわれている自分」で占められている。
 研究生になってようやくそんなこともなくなってきたが、影ではどう言われているのかと思うと、どうしても他人の顔をまともに見られない。

「なによ、隠すことないじゃない」
「……」
 うつむいたままの虎之助を見て、タマは呆れたようにちょっと首をひねった。
「イヤなの?」
「ええ……。こちらの国では、オッドアイでも気味悪がられたりしないのでしょうか?」

 タマはその問いには答えず、脅かすような声を上げた。

「あなた、次、堅苦しい言葉で話したら、あたしは帰るからね」
「は、はい! すみません!」
「はいじゃなくて、うん」
「は、……うん」
「そうそう。それでいいの。……で、オッドアイについては、少なくともあたしは気にしないわよ」
「ひ、ヒトは……?」
「知らないわ。人間に聞いてちょうだい」
 素っ気なく答えると、虎之助はほうっと深いため息をついた。

 ははあ、これはアレね。
 オッドアイのせいでいじめられたクチね。
 そのせいで、他人とうまく話せないのか。

 タマはそう思ったが、それ以上は追及せずに話題を変えることにした。

「あなた、ここに住んでいるの?」
「……うん」
「ここへは何しに来たの?」
「えーと……猫に会うためと、異文化交流です。いろいろ珍しい物を集めに来たんだ」
「ふうん。それで? うまくいってる?」
「……実は、まだ下に降りてもない」
 虎之助は手すりの向こうにちょっと目をやった。
「呆れたわね。じゃあ、今からあたしと行きましょ。人間の町もそれなりに楽しいわよ」
「えっ! そんなの、ムリムリ! だって、人間がいっぱいいる!」
「当たり前じゃない。そのために来たんじゃないの?」
「……それはまあ、そうなんだけど」
 これ以上話していても埒が明かない。
 タマはついと立ち上がると、階下へとつながっているドアのほうを、小さなあごをしゃくって示した。
「さあ、早く降りなさい。そうじゃないと、もう二度とあなたに会いに来ないわよ」
「えっ!」
 ちょっと脅しをかけてみただけなのに、虎之助は飛び上がった。
 予想以上の反応がタマには可笑しくてならなかったが、つんとあごを上げて冷淡な素振りを続ける。
「どうなのよ?」
「ま、待って」

 虎之助は慌てて小さな家へ戻り、中でごそごそしていたが、ややあってなにやら手に持ってまた出てきた。

「なによそれ」
「うん……扇子」

 ぱらり、と心地よい音を立てて、扇子はきれいに開ききった。
 黒地の扇子には、縦長の瞳孔をした黄色い目が二つ、鼻、ヒゲ、にっこり笑った口。そして、扇形の上のところから三角の耳がぴょんと生えている。

「なによ、それ。ふざけてるの?」
 タマは猫の顔を模したらしき扇子をはすから眺め、思い切り嫌そうな声を出した。
 虎之助はその扇子を顔の前にもって行き、顔をすっかり隠してしまって、その向こう側からもそもそと小声で言った。
「どう? 猫に見える? にゃ、にゃーお」
「何考えてんのよ、あんた! 見えるわけないでしょ!」
「だ、ダメかな?」
「ダメよ! はっきり言って、絶対に一緒に歩きたくないレベルよ!」

 そんなあ、とあいかわらず扇子で顔を隠したままで肩を落とす虎之助を見て、タマはため息をついた。

 なんなのよ、このコ。
 大丈夫なのかしら、まったく……。

 このまま放って帰ってしまおうかという思いがよぎったが、いつまでたっても扇子の影から出てこない虎之助を見ていると、なんとなく捨てて置けないような気がしてくる。
 放っておいて、しばらくたってまたここを訪れたとき、色あせた着ぐるみにくるまれて虎之助が干からびていたら後々夢見も悪い。

「……じゃあ、こうしましょ。まずは、あたしの飼い主を紹介してあげるわ。ちょうどこの大学の学生だし」
「えっ?」
 思いがけない申し出に、虎之助はまず驚いた。
 思わず扇子を下ろし、それから自分とタマの飼い主が対面している場面を想像してみて、総毛立ってぶるりと震えた。
「ダメダメ、絶対ダメだよ、無理だよ! 顔を合わせた瞬間、倒れるかもしれない」
「わかってるわよ。会わなくていいの。会わなくたって交流はできるわよ。
 手紙を書くの。それをこの首輪にでも結びつけてくれたら、あたしがご主人に届けてあげるから」
「あ」
「日本語で書くのよ。あたしのご主人は人間だから、猫語はわからないからね。……日本語、書けるんでしょ?」
「うん、まあ。少しなら……多分……」
「書きたくないのなら、別にいいのよ」
「書く! 書く! 今すぐ書く! 待ってて」
「あのねえ。あなたが手紙を書き上げるまで待っているほど、あたしはヒマじゃないの。明日また来てあげるから、それまでに書いておきなさい」
「うん! ありがとう、タマちゃん!」
 まさにはじけるような無邪気な笑顔に、タマはふっと微苦笑した。
 彼が何年生きているのか知らないけれど、自分よりずっと下の弟の相手をしているみたいな感覚だ。
「……いいのよ、トラちゃん」

「じゃあ、タマちゃんの飼い主さんの名前は?」
「あのねえ」
 タマは呆れて歯をむいた。
「あなたがあたしの飼い主の名前を知ってたら、おかしいでしょうが。いい? 人間は猫語を話さないのよ。
 いきなり見ず知らずの人から名指しで手紙をもらったら、気味悪いじゃない。『タマちゃんが言ってました』、なんて説明したって、誰も信じないんだから。ストーカーと思われて、手紙を破られちゃうわよ。
 だから、『この綺麗な猫さんの飼い主さんへ』とか『ステキな白猫さんの飼い主さんへ』とかなんとか書きなさいよ。『タマちゃんの飼い主さん』なんて書くんじゃないわよ。
 いいわね? わかった?」
「う、うん。……タマちゃん、頭いいね」
「一般常識よ」
「そっか。気をつけて書く」

「ただし、ご主人があなたに返事を書くかどうかは、あたしは知らないわ」
「……そうだね」

「でも、書かなければ始まらないわよ」
 じっと虎之助を見上げて言うと、彼のほうもオッドアイに力を込めてタマを見つめ、大きくひとつうなずいた。
「うん。絶対書くよ」

 それから、ちょっと考えこむように腕を組んで、小さな声で尋ねた。
「……ところで、『すとーかー』って何?」
「自分で調べなさいよ。あたしはあなたの先生じゃないのよ」
「そ、そっか」
「じゃあね。あたし、帰る」
「うん。……ありがとう!」

 いつまでも手を振っている虎之助を残し、タマは柵の間をすり抜け、非常用の螺旋階段にぴょんと身軽に飛び降りる。

「気をつけてねー」

 上方から、虎之助の声がする。

 変わったコね。
 ……ま、飽きないからいいけれど。

 そして、夕闇の迫るキャンパスを抜けて、タマは家路を急いだ。


 一方、残された虎之助は、キャンパスを白い小さな影が横切っていくのをじっと見守り、とうとう見えなくなったところで宇宙船に戻った。
 そして、どこからか便箋を引っ張り出してくると、食卓兼書き物机である小さな丸型のちゃぶ台の前にちょんと座った。

(がんばらなきゃ……。友だちになってくれるかなぁ……。ここの学生さんだったら、ぼくと歳は近いのかな。あ、でも、男の人なのか女の人なのかもわかんないや。聞くの忘れちゃった。むむ……)

 書いては消し消しては書き、辞書を引いたり例文集のページをくったり。夕飯を食べるのも寝るのも忘れ、夢中になって虎之助はまだ見ぬ「飼い主さん」に手紙を書き綴った。

 そして空が白々と明るみ始めたころ、虎之助はようやく第一通目の手紙を書き上げたのである。